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姑獲鳥の夏

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いやーご迷惑おかけいたしました。
何だか00:15?3:00の時間帯にblog8のサーバーがダウンしていた御様子。
…私もビックリしたよ…。消されたかと思ったわ(笑)

と、言う訳でやっとこさ見て来れました「姑獲鳥の夏」レヴューです。


…あぁぁぁああぁ。堤さんカッコ良かった…(うっとり)

…とは言え
この下の批評はまた文書だらんだらんの大変な事になっておりますので
心してお読みを(笑)
人間生きていて、
しかも日本人であるならば必ずや日本語を駆使し毎日を送っているのだろう。
否、駆使しているなどという意識は無い。
ただ、話しているだけである。
その中に誰が“言霊”の存在を見るだろうか。
意識の無い会話、他愛の無い雑談、
もっぱら現在の約半数の使っている日本語は
日本語と呼ぶのさえ愚かに思えてくる程、
私達の語源は崩れ、壊され、消滅しつつある。
それは嘗て化学が未発達だった頃、
何もかもを怪異と見ていた頃の感覚が失われたのと似ている。
もっともこの世に日本文学を愛し、日本語と言うものを大切にする心を持ち、
言葉に特別な意味を込める事の出来る“言霊使い”が存在する限り、
我々の言語、日本語は守られ続けていくだろう。
もっともそれを支える事は出来るのは読者という立場をとる私達だけである。
私達にははこの他に類を見ない日本語という言語を守り後世に伝えて行く義務がある。


先ほどは“言霊使い”とまぁ違った言い方をしたが
此れは言うなる“小説家”である。
京極夏彦先生。
嗚呼。呼ぶのもあつかましいと思わせる程この人の言葉は相当の力を持っている。
彼こそ現世が世に誇る、
数少ない言霊使いと人間との一線を越える事の出来た一人である。
先生の言葉はもしかしたら呪いなのかもしれない。
それ程までに先生の言葉、文章は人間を惑わし、魅了してしまう。

読み物が昔と比べ相当エンターテイメント性を求められるものとなった今、
漫画は当然の事、一般的には内容の面白い物が“売れる”ようになった。
(勿論例外も有るだろうし、こんな胡乱思考の好きな一人間の愚論であるから私は確信を持って言えても実際の世の中とは違うかもしれない。私はこう思うけれどね。)

洋書の醍醐味は何と言っても内容の面白さである。
逆に反せば、洋書に文章としての面白みを求めるのは場違いである。
大体あれは原書を翻訳科が訳したものであって、
作者本人が直接書いたものでは無い。
(勿論翻訳が旨くて、翻訳家の味が出ている良い作品は沢山ある。だがそれはあくまでも翻訳の仕方が旨く、我々に馴染むだけであって、本を彼等が書いたものでは無い。)

日本文学は違う。
大体、西洋文学と比べるのが小門違いな程違う。
我々は日本文学に
“表現の美しさ”
“視覚的な美しさ”
“内容の面白さ”   を見る事が出来る。
そしてそれは我々だけが味わえる、侘び錆びの感覚を生まれ持って受け継いだ、
日本人だけが分かる美しさなのである。
だから例え日本文学が世界に評価されなかったとしても別に不思議は無い。
彼等にこの感覚を判れ、と言っても難しい、否無理なのだろう。


此処までお読み頂ければ分かるように、
文学に対しても自分は其れなりの“定義”を持っている。
では話を戻そう。
大体今日のテーマは映画「姑穫鳥の夏」のレヴューだったハズなのだから。


上記した通り、京極先生、
否京極大先生様の文章は文章と呼ぶには言葉が足りなさすぎる。
もはや単純に“芸術”と定義した方がしっくり来るくらいである。
日本文学は立派な日本文化の生み出した芸術の一つである。
私は此れを友人に薦められ読む運びとなったのだが。
一言で言えば、私の中に“革命”が起こった、
と表現するのが一番適切だろう。

幼少時代の私の視野というものは恐ろしく狭く、低く、
この世が需要と供給で成り立っているなどと思いもしなかった。
(もっとも、小学生が需要と供給について真剣に悩んでいたら困るけれどね。)
だから本というのも、まさか人間が書いているとは思いもしなかったのである。
何処かでぽん、と生まれる。そんな風に思っていたのかもしれない。
ともかく

“本というのは人が書けるものなのだ”

と知った瞬間に私は文章を書く事を覚えた。
思うがままに書いた。何やら色々書いていた気がする。
昔から空想は好きな方だったから、それが現実に書きおこせるなんて夢のようだった。
(この時期同時に私は“描く事”も自分の想像を実際に書きおこす手段として覚えた。)
こうやって私は少しだけ文章、というものに対して思い入れを持った。

そんな心持の中出会った先生の作品は、まさに“革命”だった。
人はこんなにも美しく文章が紡げるのか。
物語だけでは無い、表現の美しさ、繊細さ、漢字を含んだ羅列の視覚的な芸術性。
文章とはここまで思いを立体化させる事が出来るのか。
あの読み終わった瞬間の焦燥感を私は未だに忘れないだろう。
今まで見て来た世界がどんなに上辺だけだったかを思い知った。
其の瞬間今感じている程度の感覚は薄っぺらく思え、途端に現実味を失った。
文章が作り上げた私の頭が作り上げた文章の中の世界の方がよっぽど現実だったのだ。


その日から私の“視界”は恐ろしく変わった。

何を見るにも物事は文章に変換され、思考はなるだけ大げさな動作を伴い
そう。まさに今紡ぐこの言葉のように、
私の思考は全て“文章化”されて行った。
足を一歩踏み出すにしても、指先一つを動かすにしても、
私の頭の中では全て文章に置き換えられ、
それはいち動作として認識しなおされた。
それはまるで別世界だった。
何もかもが見落としてはいけない、新鮮な感覚で、全てが大切に思えた。
そんな感覚を掴んでからは私は何か事有る事にその時思った心情、感じ取った感覚を文字にして記述を残している。おかげで私のファイルはもうそろそろで破裂してしまうだろう。


長くはなったが、何故私がこんなにもこの方を崇め奉るかが分かってもらえただろうか。
私にとって先生はもう一つの世界、第三の眼、目覚しい感覚の発達の切欠、
何でも良い。ともかく私の一生から無駄というものは無くなってしまった。
新たにこの世に産まれたかのような感覚。
故、母に執着し愛する事と同じだと思えば別に不可解な感情では無いだろう。
そしてこの世に生を齎したという点においては創造主、
つまり神と相対すべき存在なのである。


まぁ比喩的表現に加え相当高調子で文章を美化している故、
大変誇張している感は否めないが、
私にとってのナポレオン、京極先生の作品、映画化となれば
居ても立っても居られなくなるのは当然であろう。
とは言え、映画と小説はまるで別物である。
原作があるものというのは原作ファンであれば、
大概は期待してはいけないのがセオリーである。
仕方が無い。媒体が違うのだから見せ方も違う。一緒には出来ない。
だいたいあの文章の微細さを映像化しろというのが無理だ。

・・・と、偉そうに言っておきながらも
チケットを買い、早々パンフを買い、延々と開演まで緊張していたのは内緒である。


映画、「姑獲鳥の夏」

映画として評価するならば今回の映画は実に“邦画”っぽい作りであり、
また雰囲気的にも実にレトロさを旨く醸し出し、
あの時代を自分が描いていた抽象的なものからもっと鮮明に書き出してくれた。
視点も凝っておりアングルの使い方、
演出の仕方も舞台のようにスポットライトを当てるなど
現在特殊効果の蔓延る違和感だらけの邦画を見るよりも
久々にアナログの良さを思い出した作品であった。


映画としては満足出来た。思っていたよりも感動した。

だが、本編「姑獲鳥の夏」はあくまでも小説作品なのである。

映像というのはどうしても時間の制限があるから沢山省かなければならない。
(京極堂の薀蓄を全て見せろと言ったら、我々はおそらく劇場に寝泊りなのだ。)
故、文章では何ページも紡がれていた場面が一瞬で終わってしまうのはあっけない。
だからどんなに映像が素晴らしく、精巧に出来ていたとしても
拍手喝采、涙を流して賞賛する事は出来なのだろう。
作者自身もそれが分かっているからこの作品は長年映像化する事が許されず
また「どんなに頑張っても似てないといわれますから」と
記事で言っていたのを読んでいる。


今回の作品を見て私はもう一度日本文学の素晴らしさと偉大さ、
そしてその魔力。
映像では決して魅せる事の出来ない何か
文学の魅力をあらためて再確認した。
これからも私はこの心を忘れないでいようと思うし、
誰かにその思いを伝える事が出来れば、と
己の文才を磨くため、見直すためにこんなレビューを書くのでした。


いやー。日本語って最高。お腹いっぱい。
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【2005/07/30 13:16】 | 映画レビュー | トラックバック(0) | コメント(0)
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  • 秋葉原にある某横文字大学に通う19歳。
    妹に日々怪しまれながら色々な事やってます。


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