ガジェット7
本能の赴くままに今日も負け犬の遠吠えをパブリック向けに配信中。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
【--/--/-- --:--】 | スポンサー広告

♪大人の階段のーぼるー。

今日は何だか久々に長話した友人が、すっごく大人になっててびっくりした日

…とは言え、同年代を捕まえて大人だの何だのと値踏み出来る程
僕だって大人じゃ無いがね。

何だろう。別に化粧し始めたとか、スカート短くし始めたとかじゃ無いんだよ。
むしろ逆に、物事の本質を見極め始めた、と言えば良いのだろうか。
頭ごなしに物事を否定するのでは無く、彼女の言葉を借りるなら
「客観的」に物事を見る事の出来る眼になったと、
今日一時間程度ではあるが、話していて凄くそう思った。

之ほどまでに人間の成長過程にリアル触れられて、今少し自分感動している。
人間ってちゃんと成長してるよ。
何でも良い、きっかけにぶち当たって悩んでいる今、その瞬間。
自分は成長してるんだろうな、と思って良いのだと思う。
彼女も後一歩踏み出せれば、もっと凄い人間になると思う。
彼女のセンスと才能には昔から尊敬しているのだから。
ファイト。頑張れ。そして頑張り過ぎて破裂するなよ。

僕も頑張るよ。負けない。たぶん。。。



では此処からはちょっくら私の得意分野に話を持ち込み…(笑)



話をしていた中で印象に残っているのは、
「主観的」「客観的」と言う言葉が好きだ、と言っていた所。
何も別に重要視する言葉では無いだろうに。と最初は思っていたが、
理由は簡単だった。
物事を客観的に見る眼の存在と、今まで見てきた眼が主観的なのだと言う事に気づいたのではないだろうか、と。


物事は大概が対角線上に物事を置いた状態で成り立っている。
能動態と受動態、肯定と否定、良い悪い、凸凹…など
対になる物が存在している事が多い。
「主観」と「客観」の位置もそのようなモノで
人間が誰かと接しながら行動している時、目線はこの二種類から見る事が出来る。
対峙している互いの目線は「主観」
その対峙を見ている第三者の目線が「客観」である。

此処までは「主観」と「客観」の定義になるが、
問題は「主観者」が物事を「客観的」に見る、と言う事である。


簡単に例を出そう。
ある男女が喧嘩をした。それを見ている一人の友人が居る
という状況を思って欲しい。
この場合論点の軸を「喧嘩」と言う場面に置けば
男女は「主観者」、そして友人が「客観者」となる。簡単だろう。

ここで男が思う。
「ケーキのひとつや二つで何でそんなに怒るんだよ。」
ここで女は思う。
「何で私の大事にとっておいたケーキを食べるのよ。」

ここで、友人は思う。
「あぁ。どっちもどっちだ。」


この友人の考えを、男女どちらかが持つ事が
この喧嘩を和解させる鍵となる事に貴方がスムーズに気づく事が出来れば
こんなくだらない痴話げんかを貴方はする事は無いだろう。


これが物事を「客観的に見る事の出来る人間」の利点であり、重要点である。
これが以外にも出来ないからくだらない痴話げんかは減る事が無いのだ。

まぁ痴話げんか程度ならば数分経ち熱が冷めればその愚かさに気づくだろう。
だが日常で起こる事は痴話げんかなんかよりももっと複雑な状況である。
貴方はそんな状況でこそ、冷静に客観的に物事を捉える事が出来るだろうか。


子供は主観でしか物事を見る事が出来ない。
客観という視点は成長過程で人間と接する事で徐々に学ぶことが出来る。
そしてこの目線は人間関係を友好的に進めるにあたって、有力な術となる。
「他人から、どう思われているか。」
それが想定出来れば、自分はどういう風に動けば良いかが分かるだろう。


加えて「客観」とはいってみれば「他人の網膜」な訳だから、
それが見えるようになれば世界は変わるだろう。
それまで見えなかった"側面"の部分が見えたり、
視界の幅が広がったりするのだろう。
そうすれば自分の考えも少し変わったりする。
著名なる文学書を読んで、昔の人間の思想の意思を通ずるように
無名なる友人の網膜の裏側の思考を読み取り通ずることで
新しい考えや発見を視る事が出来る。
その瞬間の"視界"は、まるで素晴らしい景色のように見えるのではないだろうか。




私は今回、彼女と話しをする事で「主観」の考えと「客観」の考えを得る事が出来た。
主観的な論はその場で述べたのでもう覚えてはいないが、
今後々になり考えて論じたこの記述は客観的な論である。
その結果、今の私は何やら妙にすがすがしい心持で之を記述している。
性格柄、何かを「発信」する立場を取る事が多い私としては
常日頃客観的な目線を持って、相手と接し、意見を述べようと努力している。
努力だけはしている。実行できているかどうかは別問題として。
そういうわけで、大体二パターンの考えを持って行動していると、
それが主観だったか、客観だったかが分からなくなる時がある。
それが本当に本心から述べている意見なのか、
プレゼン用に作り上げた相手に合わせた意見なのか。
まぁ私の場合、どちらを選んで述べたとしても、
それはそれで本心なので別に何も思ったりはしないが。
何と言っても、主観を忘れてしまっては本末転倒である。
常日頃自分の意見をたとえ押し出さないとしても、
しっかりと持っていなければいけないものだな。と。
そう考え直しこの論を「客観的」視点で思考した今、
私は新たな視点を通してこの論を見直せて、感動、
…とまで言うのは大げさだが、清清しい気分である。
視点を変えただけでここまで思う事が出来、それがこんなに楽しいとは。
人間は案外簡単に娯楽の方法を見出せる事に最近少し気づいた。


今回はそんな考えを痛感させられた「出会い」だったので、
忘れないうちに記述しておこうと思う。

ただ、この記事を次に見た私の目線はもう一度「客観」になり、
今この目線は「主観」となる。
"この記事を論じる"と言う点に置いて、今私は主観的な立場に居るのだ。
私はこの記事を書いたことすら忘れた頃になって、
もう一度この記事を読むだろう。そしてもう一度思考する。
その時思う「客観的」な論は、また違ったものになるに違いない。
私はもう一度この事について新たな思考を持つ事が出来るのだ。

私はその瞬間に見えるだろう「視界」が今から楽しみで仕方がない。



あー。楽しかった。(笑)
論じる事すなわち我が心の癒しのごとし。ってね(意味不)
…と、言うか本当に此処までこの論を読んで下さった方など居るのか。(爆笑)
スポンサーサイト
【2005/06/09 23:09】 | 定義。 | トラックバック(0) | コメント(0)
<<トリクロロエチレン。 | home/a> | おススメミュージックらいぶらり。>>

コメント

コメントの投稿













管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

カレンダー

03 | 2017/04 | 05
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 - - - - - -

プロフィール

イヌキ

  • Author:イヌキ
  • 秋葉原にある某横文字大学に通う19歳。
    妹に日々怪しまれながら色々な事やってます。


    イヌキ運営する写真メインの
    素材配布サイト。(※仮死中)

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

RSSフィード

ブログ内検索

リンク

このブログをリンクに追加する

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。